プチ哲学 生きる理由

 死んだらそれで終わりです。死後の世界も後世・前世もありません。葉っぱが落ちて朽ちるのとなんら変わりはないのです。

 『後世とは、宗教的な教えによって受け入れられた観念である。預言者の教えを認める以外にはその真実性を確認する方法はない。イブン・シーナー』

 私が正しく言わんとすることを10世紀も前の哲学者がこう述べています。もうこれで終わりでこれしかないのです。よく宗教団体の勧誘で用いられる『入信しないと地獄に落ちる』などと云うものは悪質なセールストーク以外の何ものでもありません。俗にいう地獄も天国もありません。死んだら単に無になるだけです。そう私たちが小学校で習う理科で完結なのです。

 本来、純な宗教とは儀礼を伴う美しい文化の一つであると思います。文化を逸脱した行為はもはや宗教の名を騙る不当なものです。文化であるべき宗教が「死の恐怖」を打ち消す手段となると何でもありになってしまいます。宗教活動をする方は己の行動が純宗教を本当に汚していないのか見つめてください。

 さて、人は何で生きているのでしょうか。結論はこうです。
 1)生存本能 2)人生を楽しむため

 正しい種を残すために、生命体には自滅プログラムが備わっているのだと思います。精神面や身体面に何らかの異常をきたし、それが種の保存に適さない、適応できないとなると作動しはじめるのでしょう。

 「どうせ死ぬのだから早く死んだ方がいい」「生きていてもつまんない」「自分がいてもいなくても世の中変わんない」生存本能と自滅本能が葛藤するとこんな考えがループするはずです。

 死んだらそれで終わりで来世はありませんから、生きている今しかありませんから、大いに楽しむことこそ生きていく理由なのです。